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[無名の英雄ナースヒストリー file.02] メアリー・エリザ・マホーニー

[無名の英雄ナースヒストリー file.02] メアリー・エリザ・マホーニー

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アフリカ系アメリカ人として世界で初めて看護師になったメアリー・エリザ・マホーニー彼女が歴史に名を残した理由を紹介するにはまず、1800年代のアメリカを取り巻く人種差別について語る必要があるでしょう。

メアリー・エリザ・マホーニー(以下マーホニー)は1845年マサチューセッツ州ドーチェスターに生まれました。1640年代から1865年まで、アメリカ合衆国領域内ではアフリカ人とその子孫が合法的に奴隷化されていた背景もあり、南北戦争前にマホーニーの両親は人種差別や奴隷制の少ない北部に移動しました。

彼女は、早くから看護師になることを夢見ていたそうです。しかし、当時のアメリカには人種差別が色濃く残り、マーホニーのようなアフリカ系アメリカ人が学べる看護学校はありませんでした彼女が素晴らしいのは、それでも女性と子供のための病院である、ニューイングランド病院(現ディモック地域保健センター)で約15年間もの間、世話係として勤務し続けたことです。

時代の変化と共に。

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その後、時代が変わり1865年には合法的奴隷制度も終焉を迎え、全ての人種に職業の選択ができる道が開かれていきました。

マーホニーもその例外ではありませんでした。1878年看護学校に入学したマーホニーは、様々な病棟で約1年半の実習をし、いくつもの医師の講義を受け、看護師としてのスキルアップをしていったのです。その時点で彼女は33歳でした。そのプログラムは非常に厳格で、卒業できたのは彼女を含め3名のみだったそう。1879年に看護証明書を受け取ったとき、歴史上初めて、看護師資格を得た、アフリカ系アメリカ人になりました。

卒業後、早速活躍を始めた彼女は、民間の看護師として働き始めます。しかし、人種差別の壁は厚く、アフリカ系アメリカ人というだけで、いわれのない差別を受けてきました。しかし彼女はすべての人々が人種の壁を超えて、自分の夢を追いかける機会を持つべきだと強く信じていました

そんな彼女の働きぶりは地域でも評判になり、その後、裕福な白人家庭のプライベート看護師として勤務することになったのです。彼女のプロフェッショナルな働きに、食卓を一緒に囲みたいと申し出たこともあったほどだったそう。(現在ではあたりまえですが、当時では考えられないことです。)

人種の壁を超えて残した功績とは。

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1896年にはアメリカの看護師協会(ANA)のオリジナルメンバーの一人となりました。また、1909年マホーニーは、カラー大学院の看護師協会(NACGN)の共同創設者となり、1951年にアメリカの看護師協会との合併時には、メアリー・マホーニー賞を設立し、今日では人種関係における重要な貢献者に授与される賞となっています

マーホニーは、1925年に乳がんのため81才でその尊い生涯を終えました。

彼女がもし生きていたら、多様性に富んだ現代の医療現場を見て、目を細めるのではないでしょうか。しかし、世界にはまだ、様々な人種や宗教による差別が残っている地域も多くあります。彼女の不屈の生涯から私達が学ぶべきは、”すべての人々が人種の壁を超えて、自分の夢を追いかける機会を持つべき”ということではないでしょうか。

Medicatessen 編集ディレクター / ライター

中尾 妙

クリエティブで医療をもっと素敵に、楽しくできるヒトコトモノをいつも探しています。手芸と映画が大好きで、最近は2人娘のママ業しながら、紙やウェブの制作ディレクターもやってます。

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