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無名の英雄ナースヒストリー file.01 クララ・バートン

無名の英雄ナースヒストリー file.01 クララ・バートン

自然災害時や紛争地域で真っ先に目に入る赤十字マーク。

クララ・バートンは、そのきっかけを創ったといわれるナースです。激動の時代を生きた彼女の人生は私たちにどんな教訓を授けてくれるでしょうか。

引っ込み思案な少女時代

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クララは1821年、アメリカのマサチューセッツ州オックスフォードに生まれました。幼い頃から優秀だった彼女はとても引っ込み思案な子どもだったようです。それを心配した両親の強い勧めで17歳で教師になりました。

教師の仕事はクララの素質を十分に引き出し、リーダーシップや教育について様々なことを学びました。引っ込み思案な少女だった彼女は、約18年間教鞭をとり1852年にはボーデンタウンにフリースクールを開設します。フリースクールでは600人を超える生徒が学び、新しくスタッフを雇うまでになります。また、自治体のバックアップを受け更なる成功へ導きました

しかし、当時は男尊女卑の厳しい時代。フリースクールの代表者になるはずだったクララを女性という理由のみで降格させ、教育委員会が指名した別の男性代表者にすげ替えたのです。それをきっかけにクララは過酷な労働環境で働くことを余儀なくされ、神経衰弱に陥ってしまいます。

その後ワシントンD.Cに移り、米国特許庁に転職をします。その役職で、クララは男性同様の給与をもらうことができた初めての女性職員となります。フリースクールでの経験を糧にし、男女の隔てなく能力相当の対価を求めたのです。

辛い経験をチカラに昇華できる強さは、臨床の現場でも必要な強さかもしれませんね。

人生の転機は南北戦争だった。

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南北戦争が始まった1861年、彼女は父スティーブンから戦争中の話を聞く機会を得ます。それは彼女に新しい使命を授けるきっかけとなりました。父の死後、なお続いていた南北戦争。クララはその傷病者のための医療用品の収集に奔走します。そして、”First-aid kit”今でいう救急箱の原型を創りました。

まだ誰もしていなかったその活動は政府から認められ、様々な戦場で野戦病院を開設し沢山の兵士を救いました。その姿は「戦場の天使」とまで言われるようになります。

その後、皮肉にも戦争のあるヨーロッパへ活動の場を広げることとなります。1870年フランスで始まった普仏戦争で国際赤十字の仕事に従事します。そこでもクララは最前線へ赴き、貧しい市民への救援物資の供給や、傷病者の看護に従事しました。戦後ドイツよりその功績を讃えられ、受勲しています。

アメリカ赤十字の設立へ

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帰国後アメリカ赤十字設立のため動き始めます。そして8年の歳月を経てアメリカ赤十字を設立し、その代表を約20年間勤めました。

設立時、クララが新しく加えた指針があります。戦争地域のみではなく、自然災害時も赤十字の活動ができるようにしたのです。それが、大規模な自然災害時に一番先に目にする赤十字(レッドクロス)の始まりなのです。

それからもクララは戦争死亡者の身元確認をする活動や、講演活動、刑務所改革や教育改革などフィールドを超えて活動や発言をしました。そして、1912年(享年90歳)その激動の人生を閉じました。

クララが最後の15年間を過ごした家は現在クララ・バートンナショナルヒストリックサイトとして、博物館となっています。

クララがもし現代に生きていたら、臨床現場で日々奔走するナースや医療者の皆さんへこんな言葉をかけるような気がします。

 

クララ・バートンから学ぶ教訓

”誰もやっていない、やるべき事こそ、本当に必要とされていることなのです。”

Medicatessen 編集ディレクター / ライター

中尾 妙

クリエティブで医療をもっと素敵に、楽しくできるヒトコトモノをいつも探しています。手芸と映画が大好きで、最近は2人娘のママ業しながら、紙やウェブの制作ディレクターもやってます。

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