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[無名の英雄ナースヒストリー file.04]メアリー・シーコール

[無名の英雄ナースヒストリー file.04]メアリー・シーコール

ドラマになったある無名のナース

2005年にイギリスで放映された、無名のナースが主人公のドラマ。この主人公こそ、今月紹介するメアリ・ジェーン・シーコール(Mary Jane Seacole、1805年 — 1881年5月14日です。

彼女は、ヴィクトリア時代のイギリスで活躍したジャマイカ出身のナースです当時、メアリーの様な植民地出身の人々は、様々な文化や血統が混在するという意味で”クレオール”と呼ばれていました。彼女は”クレオール”最初のナースとして、その名を残しています。

メアリーは1805年、ジャマイカ・キングストンで、スコットランド兵士の父とジャマイカ人の母との間に誕生しました。当時、”クレオール”の人々は奴隷として雇われ、昼夜農園の仕事をしながら自分たちの食料も自給自足を余儀なくされ、野菜やハーブ、香辛料の栽培をしていました。また、それらの薬草としての効能などを知識として蓄えていったのです。

その知識は母から娘へ受け継がれ、薬草を使った伝統的治療を身につけます。メアリーはカリフォルニアのゴールドラッシュに涌く時代、南北から沢山の渡航者が往来するパナマで、ホテルを経営していました。

ナイチンゲール看護団の入団拒否を乗り越えて

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しかし時代は、大国同士の戦争へと進みます。1854年、クリミア戦争における戦場医療の惨状を知ったメアリーは、自身の能力を活かすため、ボランティアの看護師として志願するため単身ロンドンへ赴き、フローレンス・ナイチンゲール率いる看護師団への入団を志願しました。しかし、とうとう参加は叶わず、自身で経営していたホテルの資金から旅費を工面し戦場へと向かいます。(ナイチンゲールとの面談記録は途中から途切れ紛失している)

そこで目の当たりにしたのは、劣悪な環境に置かれている前線の負傷者たち。ナイチンゲールの看護師団は後方基地と野戦病院のあったスクタリを中心として活動していたので、シーコールは前線へ赴き、戦火の中で看護をし続けたのです。また、イギリスでもホテルを経営し、クリミアでの活動の資金に充てていました。

原色のユニフォームを纏って

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当時も白や生成りが主流だったナースのユニフォーム。メアリーのユニフォームは、赤に黄色や青などの原色を多用しています。そこには暗く辛い戦場で明るい色を身に纏い、少しでも負傷者の気が紛れるならばという思いがあったと言います。

前線は、敵味方入り乱れていましたが、メアリーは分け隔てなく多くの負傷者を救い、人々から”Mother Seacole”と賞賛されるようになります。

自叙伝に綴る”素晴らしい冒険”の人生

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そして戦直後の1857年に、”WONDERFUL ADVENTURES OF MRS. SEACOLE”という自叙伝を発表しています。

自叙伝には、人種的偏見の根強かった当時のイギリスにおいて、常に挑戦し、行動をし、結果を残したメアリーの人生が描かれています。

出来ない理由を探すのは簡単です。
メアリーはいつもどうしたら出来るか?
を考え続け、行動してきました。

前線にいたメアリーはきっとこう思っていたのではないでしょうか。

”少しの可能性も捨ててはならない。目の前にいる患者を診よ。”

Medicatessen 編集ディレクター / ライター

中尾 妙

クリエティブで医療をもっと素敵に、楽しくできるヒトコトモノをいつも探しています。手芸と映画が大好きで、最近は2人娘のママ業しながら、紙やウェブの制作ディレクターもやってます。

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